山田覚書

玉川兄弟に会いに行く 東京都・神奈川県サイクリング

Posted on Tue 10 December 2019 ( 2020-09-17 update ) in bike

多摩川をサイクリング

ここのところは、神奈川県の南や西を目指すことが多かったので、多摩川のサイクリングロードにはややご無沙汰しておりました。

なんでご無沙汰かといえば、自走で丸子橋付近から上流に向かってサイクリングロードを走ってみても、立川かその先くらいで折り返すばかり。そろそろ飽きがきていたというのがその理由な気がします。

あぁ、もう退屈だから行きたくない!ってことはないんだけれど、ここは通ったことがあるから他のルートを……ってな具合に消極的に多摩川サイクリングロードを避けがちになってしまっていたみたい。

でも、前々から気になっていた上流の銅像にアプローチしてみようかと思い立ちます。

多摩川サイクリングロードでたまリバー50キロに挑戦で走った時に何かしらのランドマークがあるんじゃないの?と探していましたが見つけられず適当なところで折り返し。どうにももう少しだけ先にそれらしいものがあった模様。なんでも兄弟の銅像だとか。まじか……。

さっぱり予備知識なしに、行けばわかるさで出発するのでした。

とりあえず今回もオーソドックスに多摩川にアプローチする。鶴見川を新羽橋から鷹野大橋に向かって進み、鷹野大橋からは尻手黒川線を経由して綱島街道に。綱島街道から府中街道を通って、等々力あたりから多摩川土手に入ります。

綱島街道を走る上でのポイントがふたつ。

日吉の坂は大したことはないのだけれど朝の交通量がなかなかなのでなるべく迂回。車道は渋滞、歩道は渋滞なのでちょっと逃げ場が少ない。その点、尻手黒川線経由なら歩道がすいているのでスペースに余裕がある。

武蔵小杉付近で南武線をまたぐための跨線橋がこれまた走りにくいので、直接丸子橋を目指さず、府中街道を少し走って、線路の下を通るポイントから多摩川に行く方がなにかと走りやすい。

この2点だけで多摩川までの走行のストレスを減らすことができる。

さて、多摩川サイクリングロードは走り出してみると悪くないサイクリングルートですよね。丸子橋から二子橋、二子橋から多摩水道橋あたりまではのんびり流すのも、ちょっと頑張って走るのでも楽しいと思います。

多摩川サイクリングロード

多摩川サイクリングロード

2019年夏の台風被害の影響で橋が壊れていたり、土砂が堆積していたりと、何事もなさそうでそこかしこに台風の痕跡が残っている。奥多摩の方はまだまだ生活に支障のあるけれど、このあたりはそれほど問題となる箇所はないみたい。

多摩川を走っていて思うのは35km以上で走りたいひとはなんで車道を走らないんだろうって常々思う。スピードが出せないようにあの手この手で対策しているし、実際走りにくいだろうに。散歩している人のすぐ横を走り抜けて驚かしたいから?とかはさすがに想像することはないんだけれど、練習するにしても面白くないだろうになあ。不思議だ。

そんなことを考えながらマイペースに3時間と少し走っていたら到着しました。

多摩川サイクリングロードの玉川兄弟

羽村までこないと見られないんですね。時間があれば奥多摩方面まで足を伸ばしても良かったのだけれど、ちょっとのんびり走りすぎました。

目標達成です。

Strava: Tamagawabros

玉川兄弟の玉川上水

玉川兄弟

玉川兄弟は江戸時代の人物だそうです。戦国時代が終わりを告げた頃に生まれ元禄のころまで生きていたようです。徳川家光の時代に玉川上水を作り上げたことで、幕府から玉川姓を名乗ることが許されたそうな。

工事は知恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱のころ。水道奉行の伊奈忠治より下命があったとされています。

日野から取水しようとしたら「水喰土(みずくらいど・関東ローム層の土)」に水が地面に吸われて流れず、福生から取水しようとしたら堅い岩盤に阻まれて失敗となかなか大変だった模様。羽村から四谷まで通すプランは第三案でした。

1653年11月に玉川上水は約半年の期間をかけて完成。幕府から支給された資金は途中で尽きてしまったため、兄弟は家を売って費用を捻出したとか。

江戸・東京市の水道として重要な役割を担っていた玉川上水。調べてみるとなかなか興味深い事業です。綺麗な水を管理するための取り組みとかなかなか興味深い。日本はお水がじゃぶじゃぶ使い放題のイメージですが、日本の外に出てみればいまだに水を巡っての争いが絶えませんからね……。こうした事業の積み重ねがあってのことなんだなあと。